20160627

写真:読売新聞

東京医科大学や資生堂などは27日、中年以降に薄毛となる脱毛症の患者の、毛髪を再生させる臨床研究を今年から始めると発表した。
一度細胞を移植することで効果が持続するため、育毛剤のように毎日使用せずに済む利点があるという。研究チームは効果や安全性を確かめたうえで、実用化を目指している。
引用:東京医大や資生堂、毛髪再生へ今年から臨床研究

昨夜、こんなニュースを目にした時から色々と考えていた。毛髪についての悩みは十人十色といってもいいぐらい、年齢を重ねた男性女性ともに感じているだろう。
私の考えは「頭なんてのは基本的にハゲるものだし、悩むものではない」なのであまり気にしたことはないが、このニュースを希望と取るか絶望と取るか悩んでしまった。

 

育毛剤というコンプレックス商法

年齢によって人間の頭皮が薄くなるのは確かだ、しかしその具合には個人差がある。他にもハゲというのは他人から見ると、老いのパラメーターにもなるだろう。
社会生活の中で他人と比べられる機会は少なくない、その中で他人よりも劣等感を感じたりするだろう。そういった悩みを皆が抱えることで育毛剤やカツラが売れるのだ。
育毛剤業界を否定するわけではないが、私がもし育毛剤を売るならば「長期間使って効果を実感」「使用を続けていかないと効果が出ない」などと煽るだろう。
理想と現実の差をうまく突いた商法だと感じる。

 

ハゲを通して自分を見ている

「ハゲを笑う者はハゲに泣く」
よく聞く名言だが、真理だろう。つまりハゲに関する判断基準は自分にあるということだ。ハゲを笑う、それはすなわちハゲになった時には笑われると感じているはずだ。
これは死生観とよく似ている、ハゲを通して現在の自分の毛髪を見ているのだ。
しばしば宗教では死生観を正しく研磨することで死ぬまでにできること、死してなおできることを突き詰める。生に後悔しない人生を送るというわけだ。
私はこの禿毛観(トクモウカン)を大切にしている。人間は皆ハゲるのだ、そのハゲに対して笑うことはやめよう。ハゲは必然、受け入れるのだ。

 

人類が克服してしまう弊害

毛髪再生という禿毛観における禁忌ともいうべき儀式、ついに人類はハゲを克服する時が来てしまうのか。
果たしてこれはハゲに悩んでいる人たちにとって希望なのだろうか?
長年ハゲと向き合ってきた人たちにとっては朗報なのかもしれない、革新的技術だ。
ハゲというステータスは「治せないもの、仕方ないもの」という側面が強いと感じる。私のように「ハゲるのは必然だから放っておいてもいいだろう」と考えている人もいる。

このステータスが今後「ハゲを治せるのに治さない人」になってしまうのではないかと危惧している
治さないハゲ=金銭的な部分や社会性を測るステータスになってしまうのではないか。

 

○○が甘えになる日

「肥満」というのは自己管理ができていないと捉えられるだろう、これはダイエットという手法が一般的に広がった結果だ。
昔であれば「肥満」がプラスのステータスの時代もあっただろう、解明→意識の変化で現在に至った。

メントレに深く関わる「うつ」も完璧な治療法が見つかってしまうとどうなるだろう。

「死」は甘え。 こんな言葉が聞ける時代が来るかもしれない。


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小林RH

編集長オカルテック
ネットゲーム、アナログゲーム、ギャンブル、ダイエットなどの記事をメインに オカルトといえばホラーなイメージを覆すため日々執筆中 「オカルトとは誰でも楽しめるエンターテイメント」