最近はネットが当たり前の世の中である、何をするにしてもまずスマホで検索するような時代だ。地図アプリで飲食店を探し、レビューサイトで行く店を決める。乗り換え案内アプリで電車に乗れば完璧なタイムスケジュールで動ける。誰でも簡単に最善手が選べる便利な世の中である。
 便利になったが、もちろんこういった機能を使いこなせてこそだ。タイムセール、クーポン、ポイント還元と世の中賢い人ほど得をしている。
 賢い人は一方で損をしている、一言で言えば情報過多なのだ。情報は重要であるが、多くの情報を得ると自分自身が情報という重みで動けなくなってしまう。
 動けなくなる前に「知らない身軽さ」という強みを身に着けたい。もちろん「知らないでは済まされない事」は身についている前提だが。

 

情報の重み:ネタバレ

 私はSNS上では作品のネタバレをしない様に気をつかっている。そして時折こう思うのだ、果たして作品を見た証明が無いままのネタバレは本当にネタバレなのかどうか。
 ミステリー作品は犯人がわかってから読み返す時に2回目の楽しみがある。逆に考えれば犯人を知らない自分が読む物語は1回しか楽しめない。記憶を消すのは大変だからこそ初見というのは大事である。
 そのため最近では作品のネタバレを避けるために(というかネタバレをして叩かれるのが怖いため、と言うべきか)言いたい事を自ら制限してしまう。これが情報という重みである。

 少し前に「妄想レビュー」という賢さを極限まで削った記事を書いたが、実に面白かった。レビューとしては全く機能しないが、知らない故の身軽さというのを感じた。 

 

クリエイティブな二番煎じ

 ここで少し私自身の話をしてみる。
 私は趣味でボードゲームのゲームデザインなどをする。ある日、新しいアイディアを思いついた。しかし、それを軽くネットで調べてみるとすでに似たようなものが作られていた。このまま作ってしまうと二番煎じ、果てはパクリなどと言われても仕方がない。元祖を知ってしまった事により自分のアイディアがパクリになる瞬間である。
 そういうアイディアは「現在あるもの(元祖)よりもクオリティを上げる」や「パクリにならないように変化をつける」などするのだが、やはり最初に思いついたアイディアの改悪であったりする。ルールはシンプルなほど良いのだ、何か付け足すものではない。
 
 人類の文化は長い、革新的なアイディアもよくよく見てみれば二番煎じであることが多い、というよりほとんどが二番煎じだろう。そしてこの情報過多な世の中では何をやろうとしても二番煎じと感じてしまう。賢いが故に動けなくなる。

 先駆者たちは思いついたアイディアを形にすることでさらに新しいアイディアを思いつく。
 音楽の世界、絵画の世界、話術の世界。どんな世界の達人もそういうステップを踏んで成長している。
 
 賢い人たちは、思いついたアイディアを形にできないまま、革新的なアイディアを思いつかなくてはいけない。

 

馬鹿になれ、とは

 思いついたアイディアを調べるな、という結論ではない。
 私が「コカ・コーラ」という商品名を思いついたとしても、そのまま世に出せるわけでは無いからだ。
 
 思いついたアイディアがたとえ二番煎じであれ、一度形にしてみるべきだ。そのステップを踏まない限り、次のステップには進めないからだ。
 それが元祖に届かないとしても、自分がその経験をするチャンスはそこしかない。
 馬鹿になるとは、賢明な選択をやめることである。


The following two tabs change content below.

小林RH

編集長オカルテック
ネットゲーム、アナログゲーム、ギャンブル、ダイエットなどの記事をメインに オカルトといえばホラーなイメージを覆すため日々執筆中 「オカルトとは誰でも楽しめるエンターテイメント」