クオリアと共感覚
主観的な意識体験=クオリア、という単語を聞いたことがあるだろうか、簡単に説明すると「感じ」である。
今日も外は暑いが、これを言葉で表現しようとするとどうなるか。「見上げると目を細めてしまうような眩しい日差しとセミの鳴き声の感じ」である。日本人であるならば、この感じで暑さが理解できるだろう。「地面からは陽炎がたち、顔からは汗がしたたり落ちる感じ」は35度ぐらいではないだろうか。
しかしこの「暑い」という感覚も、実際は太陽で熱せられた地面が周りを熱くさせ、それを肌が感じ取っているだけである。それを「暑さ」と捉える事がクオリアである。この「暑さ」という感覚は実は人によって違うかもしれない、ムシムシするといった感じも他人と自分では感覚が違うかもしれない。こういう主観的な経験で得た感覚こそがクオリアである。
スーパー科学者メアリーの部屋
このクオリアが存在するのかどうかを考えるには欠かせない思考実験がある。思考実験とはどういうものか説明すると長くなるので簡単に説明すると頭の中で行う、想像だけで行う実験のことだ。その思考実験の名は「マリーの部屋」という。
マリーは天才科学者であり、世の中の仕組みをすべて理解している。しかし、マリーは生まれてから白黒の部屋の中で生活し、白黒のテレビを通して世界を見てきた。つまり、色を見たことが無いのだ。もちろんマリーは天才科学者なので、リンゴか「赤く見える」という現象の仕組みを全て理解しているのだ。光の波長を網膜が捉え、脳にどう伝わるかまで理解しているのだ。
さて、マリーが部屋を出て色というものを見た時に何かを学ぶだろうか?
というものだ。ここでマリーが何かを学んだとしたら、それは「クオリア」が存在するということになる。空の青さを数値や言葉ではなく体感した時に何かを感じるか、リンゴの赤色は「こういうものだったのか」と感じるか。私の直感では感動のようなものを得るのではないか思っているが、マリーの天才科学者っぷりを想像するのは難しい。あなたはどう感じただろうか。
クオリアと似た共感覚
共感覚という言葉を聞いたことあるだろうか、これはシナスタジアと呼ばれ、ある刺激に対して異なる種類の感覚を生じさせるというものだ。これは文字に色を感じたり、音に色を感じたり、味を感じたりする。これは一部の人間がもつ感覚とされている。
この感覚はおそらく人が経験を重ねていく間に手に入れる事ができるものと、先天的なものに分かれると考えている。例えば絶対音感というものは、音が音符に見えるといったある種の共感覚であり、綿菓子の味から雲に対して甘味を感じることなども全て経験から得ているものだろう。
これは一種の記憶術であると私は考えている。私は何かを記憶する時に必ずイメージとして記憶する癖がある、うまく説明できないが絵や図に置き換えて記憶するのだ。後で思い出す時はその図や絵から連想して物事を思い出すようにしている。化学式などを見やすい物体のモデルにしたりするような感じだ。
共感覚は味覚、触覚、視覚、聴覚、嗅覚のどれかが合わせて発動するのだ。こうなると私は何か面白い組み合わせは無いのかと考えてしまう。
ところで私はいつも味を色んな物に例えて感想を言うのだが、なかなか理解されないことが多い。
例えば「ささみ」の味は「タフ」なのである。
小林RH
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